人の心が裸になっていくさまを眺めるのが好きだ。
20代の頃の私はお喋りで、人の話も聞かずマシンガントークばかりしていたけれど、今では聞き役になることが多い。
きっと昔の私は、面白い話で自分に興味を持ってもらうのに必死だったんだろう。
まあそんなイタいブスの20代だったわけだけど、しかし私の承認欲求や寂しさは、周りの注目を集めて他人から「認めてもらうこと」ではなくて、自分が相手を「認めること」や「受け止めること」、あるいは「与えること」で満たされた。
例えば後輩に親切にしたり、相談に乗ったり、姪と甥を可愛がったり、飲み屋で寂しい酔っ払いの話相手をしたり。変な友達が持ってきた訳分からん案件に付き合ったり。
ただふんふんと話を聞いたり、遊び相手をしたりするだけなのに、後輩からは感謝され、年上からは褒められ、姪もめっちゃ懐いてくれた。私の心は満たされた。最高やんけ。面白いこと言うより全然イージー。早く気付いていれば20代もモテていたんだろうか。
そもそも私は人間が好きなので、どんな話もだいたい興味を持って聞くことができるし、もっと知りたいと思うし、ずっと聞き役なのもそれほど苦ではないみたいだ。
そういう自分の中の変化があってから、お酒の飲み方も変わっていった。
私は一人でお酒を飲むのが好きだけど、以前の私はマスターや店員さん相手にひたすら自分の話ばかりしていた。うるせえ迷惑な女だし、だいたいこういう女はブスである。
今はマスターやお客さんの話を聞いてる方がずっと楽しい。向こうがぽつぽつ話し始めたら、私は「へーそれでそれで?」と傾聴モードに入る。するとその人がだんだん饒舌になって、心がどんどん裸になっていく。私はその様子を眺めて楽しくなる。自分ではなく相手を主役にする楽しみ方ができるようになった。
なんかみんなだんだん子供みたいに目がキラキラしてきてかわいいんだよな。老若男女みんな。ふと我に返って「話しすぎた……」って照れてるのも愛おしい。酔っ払ったことにするのも。
人間って愛おしいですね。ほんとに。
また今日も長くなってしまった。なんか私の成長日記みたいになってきてるな。
前の私より少しは洗練されてきただろうか? そうだと良いなぁ。
今日はこれでおしまい。また書く。
シンプルライフ~私と男とストロングゼロ~
2年前の絶賛病み時代に書いた、エッセイ的な書き物。
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私はプライベートの大半を、ほぼ家のベッドで寝転んで過ごす。たまに起き上がっては『氷結ストロングゼロ』を飲む。アルコール度数9%、人工的なフルーツ味の缶酎ハイだ。手っ取り早く酔うにはこれが一番。酔っ払ったらベッドにダイブして寝る。仕事、食事、睡眠、ストロングゼロ。私の生活にはこれだけしかない。彼氏はもう長い間いない。
部屋の隅には、ストロングゼロの空き缶でいっぱいのゴミ袋が無造作に置かれている。仕事でヘマをした時、誰かに嫌なことを言われた時、これを一気に喉に流し込む。そうすると頭がふわふわしてきて、今日のクソみたいな出来事も、カスみたいな奴の顔も薄らいでいく。
思えばこの数年、記憶に残るような嬉しいことも、悲しいこともない。あったのかもしれないけど覚えてない。
しかし記憶はなくとも時間は過ぎる。このまま何もなく年だけ取るわけにはいかない……。
私は思い立った。
「恋をするしかない」と。
恋をして、この堕落スパイラルから抜け出そう。
さっそくとある婚活アプリに登録した。そこで知り合った数人の男性とデートすることになった。
私はこのために買った男ウケしそうな服を着て、愛想よく行儀よく振舞った。
どの男性も優しく、私を丁寧に扱ってくれる。 「また会いたい」と言ってくれた人もいた。
だけど、デートする度に心が疲弊した。“ちゃんとした私”でいるのが辛いのだ。
家に帰ってよれよれのジャージに着替えて、床にうんこ座りしてストロングゼロを飲むと心底ほっとした。自分を取り戻している気がした。
結局、特に成果もなく一ヶ月ほどでアプリから退会した。
「運命の出会い」なんてものはもう諦めて、家で好きなだけぐうたらしていよう。
私は今日もベッドに横たわる。そしてストロングゼロを飲む。
「いつか本気で好きになれる人と出会ったら、きっと“この人ために変わりたい”と思えるはず……」
酔っぱらいの脳味噌で、そんな都合のいいことを考えている。
手本のない人生
今でこそライターとしてそれなりに安定した人生を過ごせてる私だけど、これまでの人生は紆余曲折しかない。ということで今回は私の人生を長々と振り返ることにする。
私は物心ついた時から異常に無気力でクズだった。何にも関心がなく、食う寝る以外は何にもしたくなかった。
いわゆる真面目系クズだと最低限のことはやるらしいが、いかんせん私は根っからのクズなので、朝起きない学校は行かない授業も聞かない宿題はしない手伝いなんてもってのほか、親や教師は手を焼いたと思う。当然、周りの大人からは死ぬほどキレられまくった。
でも全然ヤンキーとかじゃなくて服装違反とかしないし見た目は真面目だった。だからこそ余計に訳が分からなくて大人たちは不気味だったんだと思う。今なら分かる。不安は怒りを増幅させるのだ。
偏差値の低い高校を出て、逃げるように東京の学校に進学して一人暮らしを始めたら、親からの監視の目がなくなり私の無気力には拍車がかかった。学校も中退。
そして僅かな貯金を崩しながらの引きこもりニート生活の最中、mixiやブログに日記を書き始めるようになって、それがちょっと人気になったり、面白いブロガーさんに刺激を受けたりもして、漠然とこれを生業にしたいと思うようになった。そのためには学歴と経験を積むための時間が必要だと考え、私は親に頼み込んで、翌年大学の文学部に入り直した。
しかし文学論なんて学んでも楽しくねえ(何という親不孝者)、恋愛もマスコミでのバイトもなかなうまくいかず、授業にも出なくなってサークル室に入り浸る日々。大学4年の終わり、2年続いた新聞社でのアルバイトを上司と喧嘩してバックレをかまし、留年して仕送りもなくなり、一年間借金生活を送ることに。高田馬場のあらゆる学ロンから金を借り尽くし、金になるものは全て質屋にぶち込んだら家から何もなくなった。利息を払うために神田のうらぶれた風俗店で週に一度おっさんのオナニーを見て小銭を稼いだ。絵に描いたような転落人生である。毎月数社から送られてくる明細をぼんやりと眺めながら、人が堕ちるのは一瞬だなと思った。
そして2度目の留年が決まり、後輩たちの卒業を見送った後、さすがの自分もこれはダメだと思い、とあるネットニュースの会社でアルバイトを始めた。最初の頃はクズ時代の悪癖が抜け切らず遅刻したりサボったりしていたけど、紙媒体に比べてwebの自由な雰囲気は肌に合い、だんだん頑張れるようになって、ローンもゴリゴリ返済してなんとか人生を立て直すことに成功した。上司であるプロデューサーのアシスタントをやりつつ、自社媒体でライターとして活動を始めた。24歳の冬である。この時、原稿のノウハウを授けてくれた上司には本当に感謝している。
そして大学もなんとか卒業できて2年が過ぎた頃、会社では仕事ぶりがそれなりに評価されて、今まで目の前のことしか見えていなかった私もちょっとだけ将来について考えるようになった。年上の彼氏もできて、こんな私でも正社員の身分とか、結婚というものに手に届くかもしれない、と期待が芽生えた。
さらに、どうせならライター1本で生きていきたいなあと思い、転職を考えるようになった。正直、いろんなことがすごいスピードで進んでいく東京に疲れてきたのもあって。
そして27歳になる年の春、東京を離れて故郷の福岡にUターンした。彼氏とは遠距離恋愛になった。田舎の実家には住まず、都心に家を借りて無事正社員のライター職を得た。その会社は、もし結婚が決まって彼氏のところに行くことになっても業務委託に切り替えて在宅勤務ができるというので、入社を決めた。仕事内容は正直あまり魅力的ではなかった。
しかし働いてみると職場は居心地が良く、仕事おもんねえなあと思いつつもそこから3年間は仕事帰りに友達や同僚とワイワイ飲んだり、買い物をしたり、憧れのOL生活を満喫した。普通に充実していたのでこの期間はあまり書くことがないw
しかし30歳。
色々あって結婚寸前で彼氏と別れることになってしまった!
いや〜堪えましたねこの時ばかりは。これまでの人生、なんだかんだと全て自分の思い通りにして来たから、「人生にはどうにもならないことがある」ということを初めて知って絶望しましたよ。そして人の心は思い通りにできないことも。
何よりも参ったのは、結婚の予定がなくなりこれからの人生が全くの白紙になってしまったこと。
「え、これから人生どうすればいいん?」みたいな。
さらに弱りきってる時は意地悪を言う嫌な人ばかり寄ってくることも知った。マジであいつらなんなんだよ、ゾンビかよ。
そこから2年間、私は過去をひたすら悔やみ、人の言葉にいちいち傷ついて、何をやっても気が晴れない地獄みてえな暗い毎日を送った。この頃のことは思い出したくない、ほんとに。ちなみに当時の私はすげえ化粧が濃くてハイヒールばかり履いていた。自信のなさを隠したかったんだと思う。
そして33歳。(やっと現在に追いついた、長かった)
多少マシになったものの相変わらず沼みたいな精神状態で生きていたところにコロナである。
ただでさえ傷んでるメンタルにコロナ禍で追い討ちをかけられ……と思いきや、私はこの想定外の危機で奇しくも自信を取り戻すことになった。
というのも、私の勤め先はほとんどコロナの影響を受けず仕事を続けられたから。そして在宅勤務で時間のゆとりができて、フリーでも仕事を初めて収入も増えた。さらに給付金で気に入った部屋に引っ越して、快適な一人暮らしを満喫できている。
これらのことで、あの時に安定を優先した私の判断は間違っていなかったと、私はやっと自分の選択を認められたのだ。すると他人に対する振る舞いも変わってきて、自分の意見をハッキリ言えるようになった。
今はもう結婚願望なんてすっかり薄れてしまったけど、お陰で人生を自分らしくカスタマイズすることに楽しさを見出している。
長々と半生を振り返ってしまったけど、タイトルの通り私は死ぬまでお手本のない人生を歩むんだと思う。周りに目標にできる存在もいないし、いわゆる「普通の幸せ」を手に入れるとか、周りの大多数と同じように生きるのも無理っぽいので、20代の頃と変わらずこれからも痛い目を見ながら自分にとって最適な選択をしていくしかない。
2021年。腹括っていきましょう。
私は自分の楽しませ方を知っている
去年の夏、無職の45歳実家住みに告白された話
ある暑い夏の日、某イタリアンのテラス席にて。
ちなみに完全割り勘デートです。一歩譲って同年代ならまだしも、私は33歳で件の男より一回りも年下である。告白されて「呆れる」という感情を抱いたのは生きてて初めてだ。
男「付き合ってくれませんか」
私「付き合いません。ってかあなたそれどころじゃないでしょう、仕事もしてないのに恋愛とかしたらダメでしょ」
男「そうだね……(泣)」
ってな感じに正論でぶった斬ってもうた。
まあなんでこんな男とデートしたんやって話なんやけど、私は30歳の時に結婚寸前まで行った彼氏と別れてから数年間、すっかり恋愛から遠ざかってたんで、慣らしのつもりで誘いに応じたんですね。2回。そろそろ彼氏も欲しいなと思ってたところだったから。
その男は酒に酔って、「俺はカッコ悪い生き方はしたくない」とか言ってたけど、私にしてきたことは笑えないダサさなわけで、当人が思うカッコいい生き方というものを教えて欲しい。知りたくもないけど。
まあこの男はとにかく頭が弱いんだろう。これをしたら・言ったらどうなるかという想像力がないからこんなことしちゃうんだろうし、無職にもなる。
頭悪くてもなんとかなるけど、頭弱いのは生きる上で致命的です。
なんで私のことが好きなのか聞いたら、「自信がないところ」とかクソみたいなこと言うてきたしな。くたばりやす。
向上心がないから見下せる女と恋愛しようとするんだろう。だから無職にry
あれから半年、年が明けて2021年になりましたけど、くじけて男の人とまともにデートしたのはそれっきり。
それにしても、無職から告白される事件然り、本当に私は舐められやすい。
今年はどんなクソ男が舐めてかかってくるのか、早くも戦々恐々です。
また書く。
片思いの醍醐味
片思いの醍醐味は妄想だと思う。
だからもし片思いするんだったら、その相手は絶対に独身彼女無しがいい。
既婚者だったり、彼女持ちだったりすると、どうしても奥さんや彼女さんの存在がちらついて、楽しく妄想できないからだ。
私の妄想は、いつも現実の延長線上で繰り広げられる。
だから、もし仮に既婚者や彼女持ちを好きになったとしたら、いつ不倫が嫁にバレやしないかビクビクしながら、家でじっと既婚男の来訪を待つ自分とか、「一番にしてとか言わないからああっっっ‼泣」と泣きわめきながら、彼女持ちに裸で迫って彼女から無理やり寝取ったりするそんな生々しい想像ばかりしてしまうだろう。
それはあまりに無粋である。興ざめでしかない。妄想なのになんか病んできたし。
例えば同じ職場の別の部署にいる、あんまり話したことのないちょっとカッコいい先輩とか同僚とか、自席からこっそり眺めてときめけるし、相手のことを知りすぎてない方が夢がある。実は性格めっちゃ悪いとか嫌。妄想の伸びしろがある。
孤独死までのカウントダウン
私について。
名前 タンニング掛山
職業 WEB系編集職
年齢 30代前半
在住 福岡県
趣味 文筆/立ち飲み/洋服/食っちゃ寝
ライター業に就いて11年、仕事以外で文章なんて久しく書いていなかったけど、なんだか久しぶりに執筆活動をしようというという気が湧いてきた。
いつまでやる気を維持できるか分らんけど、いけるところまでいくつもり。
誰かの目に留まったら嬉しいな。